十夜ヶ橋食堂:店主紹介

はじめまして。十夜ヶ橋食堂店主の日野 照美(ひの てるみ)と申します。

私も十夜ヶ橋に嫁いではや31年になります。

私が嫁いだころは、主人の父(弥平:明治43年生まれ)と母(タキエ:大正5年生まれ)が古い民宿を営んでいました。

父は、45年ほど前に、愛媛県喜多郡長浜町の下須戒(現在の愛媛県大洲市長浜町下須戒)に住んでいました。

ある日、父の従兄弟から「病気でお金がないので十夜ヶ橋の家を買ってくれないか」と相談され、悩んだ末に、とある神社の神主さんに相談にいったそうです。

すると神主さんが、「弥平さん、一ヶ月以内に十夜ヶ橋に行きなさい。1ヶ月以内ですよ。十夜ヶ橋は、3年3年日が昇るごとく最高の場所になる。」と言われたそうです。

それから迷いもなく父弥平は、全財産を売り払い十夜ヶ橋に移り住みました。

しかし、十夜ヶ橋に来てみれば、土地は低く雨が降るとすぐに家は水につかり、道路は石ころや砂ぼこり。

家の周辺には明かりもなく、あるのは柳と井戸とお大師様と雨漏りのする父の家だけで、母は毎日泣いていたそうです。

そんな父弥平も90歳で、母タキエも91歳で永眠いたしました。

現在では、神社の神主さんの予言どおり、十夜ヶ橋周辺は高速道路・トロン温泉・オズメッセやフレスポ大洲などのショッピングモールが次々に立てられ、大洲市の経済の中心部と言えるほど発展しました。

近々、大洲市立図書館も建設移転され、十夜ヶ橋周辺地域は更に発展するようです。

父母が大きな病気もなく天寿を全うでき、十夜ヶ橋周辺地域が発展したのも、十夜ヶ橋の下で静かに眠っておられるお大師様のお蔭だと思っております。

今頃きっと二人はニコニコとしながら十夜ヶ橋を眺めていると思います。

私だって苦労したんです。ただし、私は弥平さんにね。

花嫁衣裳を脱いだその日から、「嫁は親の言う事聞いとったらええんや!」と怒鳴られる日々。私の考えや思うことは通らない、お金は自由にならない、自分を抑えて我慢の日々、店の為と思って考えることもダメです。悔しくて腹が立って悲しくて毎日泣いていました。

しかし、今人生を振り返ると、「生きる厳しさ」「苦労に耐える強さ」を学びました。そして、「一生懸命がんばらない良い嫁はやめよう」と考えるようになった時、乗り越えることができました。

今思うと、弥平さんに苦労しましたが、感謝するのもやっぱり弥平さんです。そして、苦労したことを感謝と思える自分に「時間をかけて成長したなぁ」と思います。

これからも父母から受け継いだ小さな食堂をゆっくりと頑張っていこうと思います。

一つ一つの事に日々感謝しながら・・・

 

平成20年8月吉日

十夜ヶ橋食堂店主
日野 照美

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